2020-03-18 第201回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号
年額でいうと七百五十六万円になりますが、いいところの高級マンションでも借りて王侯貴族のような生活されていますよ、一般的に言えば。外交官の方、私、ニューヨークでも、私も留学もしましたからたくさん会いましたけれども。 そういう中村公使のありようと、この手記で言っているその御遺族の方々の思い、それでもこの中村公使の人事は適材適所だと考えますか。
年額でいうと七百五十六万円になりますが、いいところの高級マンションでも借りて王侯貴族のような生活されていますよ、一般的に言えば。外交官の方、私、ニューヨークでも、私も留学もしましたからたくさん会いましたけれども。 そういう中村公使のありようと、この手記で言っているその御遺族の方々の思い、それでもこの中村公使の人事は適材適所だと考えますか。
日本における博物館でございますけれども、これは御案内のように、ヨーロッパでは元来、王侯貴族が美術品をコレクションしていたものが市民革命によって一般民衆に公開されるようになった、そういう流れの中で近代的な美術館というようなものができてきたという経緯があるわけでございますけれども、我が国においては、そういう美術館あるいは博物館という仕組みをいわば明治の時期に導入したということになってございますので、そういう
ナンバーツーの鶴岡前首席交渉官は、駐英大使に栄転し、遠くロンドンで優雅なゴルフ三昧の王侯貴族のような生活をしていることをフィナンシャル・タイムズで世界じゅうに紹介されましたが、やはり国会の場での説明から逃げ続けています。
どうして影絵のことをシルエットというようになったかというと、その時代に、王侯貴族、政治家が油絵の肖像画をかかせるのが大変はやっていまして、それを国家財政の負担でやっていたらしいんです。
ヨーロッパはもちろん王侯貴族の町でありますから更に盛んでありますけれども、日本で今カジノをやったらいいかどうかということについては、私は余り、どっちとも言いづらいですね。 ただ、私が願っているのは、観光地というのは、長い間、戦後の大衆ツーリズムの間には非日常を用意するものだというふうに言われましたですね。
そこで言われていることは、元々シビリアンというのは一体何なんだというと、これはここに書きましたように、王侯貴族その他取り巻きの特権階級に対して我々シビリアン、要するにコモン、コモナーですね、あの平民。それが政治を持つ。これはフランスの啓蒙思想の思想から受け継がれているわけですけれども。
そのシビリアンの意味、今、最初にちょっと御説明しましたけれども、最初は、王侯貴族に反抗する者である、それから特権階級でない者である、それから制服を着ていない者である、それだけのことであったんですね。
例えば中近東におきますと、スポーツというのはもともと王侯貴族のものという意識がございますので、こういった国から選手団等が参りますと、選手等も王子様であったり貴族様であったりということがございまして、広島もアジア大会に向けてリハーサル大会等、今までも国際大会をいろいろ開いておるわけでございますが、そういった中でこういった国々から来た選手団の様子を見ておりますと、大変大勢のおつきを連れ、コックも八名、九名
王侯貴族、僧侶は無税だ、その他の一般庶民は有税だ。いまの不公平税制どころじゃないのです。大変なものです。一七八九年にフランス革命が起こったのはやはり租税からです。そこで、とにかく租税法律主義というのが民主主義国の最大の要請なのです。
ちなみに、北欧などの諸外国の王侯貴族の状況を見た場合、一般の国民と同様の生活や行政上の取り扱いといいますか、そういう差がない、平等であるということを聞いておるわけでありまして、そういう意味では本当に庶民と同じ生活をされて、国事とか何かの儀式のときには一定の役割りをされる。そのことがまた一面尊敬の念になっているというようにも聞いておるわけであります。
ただ、なぜ地方の交響楽団に補助金を出すのか、音楽というのは元来大衆の歓喜の叫びやあるいは慟哭やあるいは悲鳴というようなものから出発したのだろうと私は思いますけれども、それが体系化されて、そして王侯貴族、そして現在は資本の援助ないし資本に雇われなければ音楽というものは経営できないという状態だと思うのです。しかし、その流れは必ずやまた再び国民のものになるであろうし、その過程を通っておる。
それから、先ほどラオスの問題で、ラオスというのは、御承知のように王侯貴族の連合政府で、その上にプーマ首相が乗っかっている。しかしプーマ首相が失脚をしてパテトラオの政権ができるとなると、また新たな波紋が当然できてきます。その辺の見通しをいま一度……。
外国の例を見ましても、宮廷、王侯、貴族が音楽家や芸術家に大変援助をして、りっぱな作品をつくらせるとか、宮殿を飾らせるとか、それが歴史的作品になることがありますが、しかし、同時に、そのときには非常に虐げられていた人たち、認められなかった人たちの中により、すぐれた芸術品を人類不朽の傑作として残すようなものもたくさん生まれているわけです。
封建主義時代の王侯貴族の横行した時代の経済なんです。それをいま今日に当てはめようなんて、それはとんでもない話なんです。どなたでもいいからこの問題を切り抜ける――それで間違いであるとおっしゃるならば、私はいまその論拠の原典も持ってきておりますから、どうぞお読みあそばしてください。
それがルネッサンスという例の人間復興運動、これは十四世紀ころからぼつぼつ始まっているかと思いますけれども、それまでの封建社会、王侯、貴族あるいは僧侶というものが強大な実力をふるっておりましたのが、一般大衆が貨幣によりまして物を貨幣と交換する、そういう貨幣経済というものを覚えまして、一般大衆が富を増してくる。
第三は、その暴力団の親分は王侯貴族の生活をやっておる。こういうようなことも聞いたわけですが、政治権力とのつながり等については、暴力団の組織化、再編成等についてありはしないかと思うのですが、警察、検察庁当局はいかなる対処を持っておられるか、また具体的にそういう問題についてやっておられるならば、その点について聞かしていただきたいと思います。
外国の都市におきましては、ロンドンもローマももちろんでございますが、国有地、それから皇室の土地、王侯貴族の土地がすべて公園になっております。ロイアル・パークという名前になっているくらいであります。どうも残念ながら、東京におきましては、国有地は公園になる前にどこかほかに切り売りされる傾向がございまして、なかなか公園がふえないわけでございます。
封建君主がそれをやったもので、今度はそういう流れをくまないものまでも、それはちょうど農家の娘が、女をがんじがらめに閉じ込めた習慣をもったうちかけを着て嫁に行く、あのたぐいと同じでありまして、民主主義の世の中になってもそれは変わらない、昔、王侯貴族がやったからおれもやりたい、打ち明けて言えばその程度のものなんです。貴族の遊びなんです。日本でもそうなんです。巻狩りとか鷹匠とかみんなそうです、あれは。
○小林(進)委員 一般論としては、私はただいまの大臣の御答弁に満足いたしますが、例の麻薬密売者というものは、御承知のように、これはもう刑務所に入りましても王侯貴族の生活なんです。
それとも過去の王侯貴族の政権をろうらくし、それを維持しようとする側の方に自由があるとお考えか。これを承わりたいと思います。